保護者の視点からの日野台高校紹介

日野台高校に思うこと

斉藤 健児

平成17年度PTA会長を務めさせて頂いた斉藤と申します。

この度、日野台高校のPTAホームページが一新され、新たに「日野台高校を受験しようと考えている方々へのページ」も試験的に設けられました。とても斬新で日野台高校をPRするには大変有効な楽しい企画だと思います。スタッフの皆さんのご努力に敬意を評します。

息子が3年間ご厄介になり、最後の一年間はPTA会長として、日野台高校と深く携わることとなりましたので、保護者として見てきた日野台高校をご紹介したいと思います。本音で書きますので、生の声をご参考にして下さい。(あくまでも個人的な意見にはなってしまいますが)

まず、一言で言って、大変落ち着いている学校であることは間違いないと思います。生徒達は誰もが爽やかに挨拶をし、いつ話しかけても、笑顔で対応してくれます。これは素晴らしいことだと思っています。「挨拶」とは全ての基本ですから、普段からの学校側のしっかりとした指導力と伝統に感心させられます。

指導力とは「管理力」とも言い換えられるのかもしれませんが、心身ともに急成長をする高校生には、学校・家庭共に厳しく管理し指導しなくてはならない時もあると思っています。しかし反面、必要以上の厳しい管理によって、生徒達が萎縮してしまうことも困ります。やはり、のびのびとおおらかに自由な時間を満喫して貰いたいと言う気持ちもあり、このまったく反する願いを学校に求めているのですから、思えば保護者(親)とはわがままなものです。
そう言った極めてわがままな親の立場から日野台高校を見たとき、「生徒達を厳しく管理してゆくこと」と「生徒達の自主性を尊重してゆく」という校風が程よく調和されているように感じられました。息子の意見などを聞きますと、「先生方は結構厳しい!」などと言っていますが、生徒達の意見としては、そのくらいでちょうど良いのではないかと思います。

学校の雰囲気がとてもよく伝わってくる行事がたくさんありますが、私は特に体育祭の見学をお勧めいたします。伝統的に日野台高校は、学年対抗戦方式をとっています。「棒倒し」は3年男子対2年男子!「騎馬戦」は2年女子対1年女子!迫力満点です!
この対抗戦方式を取れることが、いかに学校が安定しているかを象徴していると思います。生徒達が荒れていたら、とても無理なことではないでしょうか?応援合戦や部活対抗リレーは抱腹絶倒!私は昨年の体育祭しか見学できませんでしたが、仕事の都合をつけてでも、3年間見るべきだったと、今になって悔やんでいます。

合唱祭も大変素晴らしい!生徒達の真剣な取り組みがよく伝わってきます。大袈裟でなく感涙しました。 PTA活動でも、生徒同様保護者の皆様もとても活発的で、本当に楽しく活動させて頂きました。小中学校と違い、学校行事は生徒達による自主運営ですので、PTAが学校行事のお手伝いを学校から頼まれると言うことはありません。生徒達と共に保護者も自主的に参加し、同じ時間を共有していると言った感じです。

進学については、いかに目標を早くから定め、努力してゆくかと言うことに尽きると思います。先生方は非常に協力的であり、学力向上、目標達成は本人のヤル気次第というところだと思います。 なによりも、保護者が一番望むことは、我が子が、高校生活という青春の真っ只中を、大いに満足して謳歌してくれることではないでしょうか?
楽しそうに(無論、辛そうな時もありましたが)登校してゆく姿は、保護者にとって掛け替えのない喜びであり、安心感でした。 我が息子は、野球部に所属し、素晴らしい仲間達の中で心身ともに力強く成長してゆきました。部活動に打ち込みながらも、文化祭や合唱祭ではクラスの仲間たちともしっかり溶け込んで、充実した時を過ごしていたように思います。

少し誉めすぎかもしれませんが、私は一父親として、日野台高校で過ごした息子の3年間に大いに満足しています。お子様の大切な高校生活ですから、慎重に選択しご検討すべきだと思いますが、私は胸を張ってご推薦させて頂きます。

体育祭体育祭体育祭

リバティ

山崎 恵子(21期中山中)

お子様の高校選択に際して、保護者として助力できること‥。毎日の食事をきちんと作ることと、お子様の希望を裏付ける情報を集め、良きアドバイザーになることでしょうか。百聞は一見に如かずですが、少しだけ我が子を通して感じた日野台の高校生活の印象をご紹介させていただきます。

日野台を受験する中学生の多くが、“日野台での高校生活”でやりたいことをイメージし、目標を持っている生徒が多いと先生方から伺っています。因みに22歳になる我が子は、中学3年の秋、日野台の文化祭のお化け屋敷を体験し、これがやりたい!と決意し、憧れ、目標に向かって努力、受験、合格、入学を果たしました。伸び伸びとお化け屋敷に興ずる先輩方の姿に自身を重ね、イメージし、一目散に走り抜ける姿は、親からすると目標が部活や勉学ではなくとても不謹慎な理由に思えました。
しかし今思い返すと、彼の“日野台での3年間”は、この時に感じた「先輩方の活き活きした姿」の自己実現がベースだったように思います。

日野台では、高校生活の基本理念に「リバティ」を挙げています。そして、日野台生となったその日から、彼らはその解釈に悩むこととなるのです。思春期は、自己と社会や他者との狭間で自我を模索します。そのきっかけが学校生活の中でのリバティでした。彼らは始め単純に「自由」と解するのですが、自由が簡単に手に入らないことを知ります。「自律なき自由」はないことを学び、その「自律」こそが人間生活を送るのに必需であることを学ぶのですが、迷いも断ち切れません。 3年間、その葛藤と思考を通して「精神の自由」の大切さを学び、次のステップへと成長する日々だったように思います。

何よりも、「学び舎 日野台高校」には、資質ある生徒・教師が存在し、落ち着いた環境・校風があったからこそ、そうした思考をめぐらすことができたのだと思います。勿論我が子は、「そんなこともあったなあ~」と笑い、今の方がもっと凄いことを経験し大成長を遂げているのだと豪語していますが‥。

皆様とを通して日野台でお会いできる日を楽しみにしています。

息子に日野台を薦めた日

黒長 浩

「うっ、これは」

私は、頭が混乱した。確かにさっき1階の玄関から入り、階段をのぼった。だからここは間違いなく2階だ。でも、なぜか目の前にあるのは、まぎれもなく玄関ではないか。そうか、これが噂の巨大迷路なんだ。そういえば、さっきから同じ場所をなんどもぐるぐる回っているような気もする。

巨大迷路・・・・・一説にによれば、東京都が有り余る税金の使い道に困り、日野の丘に密かに建設したという「全天候校舎型テーマパーク 巨大迷路「ひのだい」・・・・・・・まさか、校舎の中でGPS携帯を使うことになろうとは。とりあえず、この階段をもう少しのぼってみることにしよう。

今日は、日野台高校の公開授業。「あなた、自分の息子の志望校は親の目でも確認するって言ったでしょう。」妻の叱責に尻をたたかれ、たまの休みくらい家でゆっくりしていたいとの気持ちをぐっと抑えて、このテーマパーク、いやいや日野台高校にやってきたのだった。

それにしても、この校舎はお世辞にもきれいとは言えない。東京都も巨大迷路を建設はしたもののバブル崩壊で、メンテナンスまで金が回らなかったか。これに比べれば、先週行った西八王子にある某私立高校は、全室冷暖房完備の地下2階地上6階のビルで、私の会社よりよほど立派だった。

そんな思いで、やや薄暗い階段を上ろうとしていた時だった。授業終了のチャイムが鳴り響いた。いきなり、教室の扉が勢い良くがらがらと開けられて、真っ黒に日焼けした一人の男子生徒が飛び出してきた。
「こいつは野球部だ!」直感した。いまどきの高校生で丸刈り頭なんかしない。時代はサッカーだろ。このダサさは、絶対野球部だ。そうやってふと彼の胸元を見ると、なんとやせた「紫イモ」が首に巻きついているではないか。いやいや良く見るとそれはネクタイだった。何でもこれが日野台カラーだそうだ。しかし、これはどう見ても「紫イモ」だ。ちなみに日野台の精神を表す言葉に「大根」というのがあるそうだ。イモと大根。いかにもダサい。えっ、「大根」じゃなくて「台魂」なの。

彼は、階段にどかっと座るといきなり弁当箱を開けた。
そうか、もうお昼か。えっ、まだ10時を過ぎたところだぞ。そうやって彼のしぐさを見ているうちに、私の目は点になった。
「えっ、こいつ、とんでもない上履きをはいている。」この履物、どこかでみたことがあるぞ。そうだ、私の田舎の九州の実家の便所でみかけた。間違いない、こいつが履いているのは「便所スリッパ」だ。確かに便所スリッパでは、廊下は走れない。かかとを踏みつけるみっともない履き方もできない(そもそも最初から「かかと」がない)
それにしても、日野台生おそるべし。紫イモをを首に巻きつけ、」便所スリッパを履いている。一体どうゆう高校なんだ。とため息をついた瞬間、彼と目が合った。
まずい、絶対に目を合わせてはならないのが、「野生のサル」と「いまどきの高校生」というぞ。絶対にがんをとばしてくるぞ。いやいや、いきなりウキィーーって飛びかかってきたらどうしよう。
ところが、私に気づいた彼は、いまどきの高校生にはあるまじき行動にでた。

この野球部君(絶対野球部だ)、いきなり弁当箱をひっくりかえしそうな勢いで立ち上がり、「こんにちは」と大きな元気な声で挨拶してくれたのだった。そして、次々と教室から出てくるどの子もどの子も、みんな「こんにちは」「こんちは」と挨拶してくれたのだった。それは、決してマクドナルドのマニュアルではまねのできないはつらつとした笑顔だった。挨拶は人と人のとのコミュニケーションの基本。でも嘆かわしいことに、最近それが忘れ去られている。それにしてもこんな素敵な挨拶を誰もが素直にできる高校があったなんて。この高校なら是非息子にも行ってほしい。「日野台を受けろ」私のほうが乗り気になってしまった瞬間だった。その後もこんな明るい挨拶の歓迎は、巨大迷路を無事脱出できるまで続いた。

実際、志望校なんてレベルはほとんど同じところを選んでいるのだし、そんな大差ないはずだ。日野台にしても所謂、中堅上位校と呼ばれるが、そんな高校いくらでもある。でもそんな数ある高校のなかで、ここぞって決めるのは、実は、こんな他愛のないことに感激してしてしまって決めたりするものじゃないだろうか。(と私は思っている・・・・って別に私が高校にいくわけじゃないが)

そういえば、この高校には、他校では良く見かけた「鼻毛は黒いのに髪はブロンドの半外国人」「怪傑ライオン丸(わかるかな?)もびっくりの爆発ヘア、パプアニューギニアの現地人がしているような耳飾り(えっ、ピアスっていうの)の女子生徒」も半分パンツだして歩き回る北京原人やアウストラロピテクスピテカントロプスも見かけない。ある都立高校の説明会では「茶パツも生徒の個性です」と先生が言い切ってた。確かにその通りかもしれない。人を見かけで判断してはいけない。でもね、自分の息子が半分お尻をだして中央線の電車の床に座り込んでいる姿を想像してごらんなさい。やっぱり、いやでしょ。

ところが、校則を見る限り、それほどこと細かく規定されているわけではない。日野台生は代々こんなだそうだ。伝統というとちょっと大げさだが、先輩から後輩へ、代々引き継がれてきている精神とでもいうのか。先輩を見て挨拶が自然にできるようになったのか。ちょっと制服はださいが、ダサくて結構、日野台最高!!
巨大迷路から無事生還した私は、妙に感激して、息子より前に日野台のファンになった。「そうだ、日野台に行こう」(JR東海の乗りで)

それから数ヶ月、紫イモを首にまいた丸刈り頭の息子がいた。甲子園をめざして。(えっ、野球部にはいったの)

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今思えば、日野台に息子が入って本当によかったと思う。友達も大勢できた。思いでもたくさんできた。早いものでそんな思い出話をする息子ももう大学3年生。時が流れるのはホントに早いものだ。

などと「日野台との初めての出会い」となったあの公開授業の日のことを思い出しながら、土曜の午後のひとときをワープロに向かいこの文章を綴っている。

ピンポーーン、玄関のチャイムがなった。そうか、我が家の姫は、今日は通っている高校の公開授業日だったな。たくさん希望者が来てくれたかな。「おかえりっ」ドアを開けた。

「ただいまっ!!」元気に挨拶してくれる娘が息を切らして立っていた。「吹奏楽部にもたくさん見学しにきてくれたよ。みんな合格するといいね。」
にこにこしながら話してくれる娘の胸元には、秋の日差しに輝いて揺れているあの「紫イモ」があった。