日野台PTA活動秘話

そばうち支援会もうすっかり日野台高校PTAの伝統となってきた感のある「そば打ち」「生き活きフェスティバル」ですが、これらがどのようにして始まったのか、その生い立ち、その時そこに携わった方々の熱き思いや献身的な活動の数々は、現役PTAではなかなか知ることのできないものだと思います。ここで素晴らしき、そして誇るべきPTAの先輩方に感謝をこめて、日野台PTAの歴史を紐解いてみたいと思います。本稿については、PTA OB会「ときわぎ会」の山崎会長(当時)の全面的なご協力を得てここに記載するものです。あらためて厚く御礼申し上げます。

日野台PTAは、設立当初、初代校長先生自らが「日野台高校を良い学校にするために」と人集めに奔走してくださるなど、教職員の方の熱意とそれを受けた保護者の尽力で創設されました。この時、 設立に関わった1期生の保護者の方や教職員の方は、現在も年一度の親睦会は欠かさず、当時の熱い思いが未だに息づいています。また、PTA OBの会「ときわぎ会」でも、1期生の皆様には大変にご尽力頂いているところです。その後、PTA設立の折に先生方と苦労を分け合ったお父さん方を中心に、子どものことをざっくばらんに先生方とお話ができる信頼が生まれ、「おやじの会」が設立されました。そば打ちは、その「おやじの会」が中心となって、次に出てくる「生き活きフェスティバル」で取り組まれた様ですが、自家栽培のそばの実を、臼でひくところから始まるなど、さすが日野台の“こだわりの親父達”です。

さて当時PTAでは、広範囲の地域から集まる生徒の様子を知り、少しでも親同志の情報交換の場を作ろうと地域懇談会を催していました。しかし、数年が経過した頃から出席者も固定化され、打開策を論じ合う当時の役員は大学セミナーハウスに泊り込んで事業の見直しを協議しました。その結果、地域懇談会に代わって「親が生き活きすれば子どもも生き活きする」という主旨の元、「生き活きフェスティバル」が誕生しました。おやじの会のそば打ちは講座の一つに組みこまれ、大変な盛況振りでした。
こうして始まったそば打ちですが、人気が高いこと、男性の参加が多いことなどから、生き活きの事業から独立し、文化厚生委員会の事業になりました。また、総会の日に、総会後に開催される懇談会に少しでも和んだ気持ちで参加してもらおうと、そば打ち経験者にご協力をお願いして、総会参加者全員でそばを囲むことも伝統となりました。日野台高校の総会に参加された保護者は、そばの如く、細く長く、腰のあるお付き合いをすることとなるわけです。こうして日野台高校 のそば打ちは、そば打ちに関わった方々のご尽力で、伝統事業として受け継がれてきました。特に本部役員会の男性は、そば打ちに参加したため(?)役員のお声がかかったという経歴の主ばかりでしたので、事業の開催も安心して行うことができました。

しかし、平成14年に PTA事務の廃止と共に、役員会のメンバーは実務中心の女性が圧倒的に多くなり、そば打ちに暗雲が垂れ込めてきました。そこで、当時の役員会で検討し、伝統事業を絶やさない様に、そば打ちのマイスターにお集まり頂き組織することしました。同時にパソコン知識に優れた方にもお集まり頂き、そば打ち部門とパソコン部門の2 つを有する 「PTA活動支援会」が組織されたわけです。そばうち支援会の設立に当たっては、日野台高校のそば打ちを通して親交を深めていらした諸先輩にご協力をお願いしたのですが、顔も知らない現役 への協力にご快諾頂くことができ、そば打ちを通して培われてきた日野台のすばらしさに心から感謝する次第です。なお、平成13年に都高Pでこの活動が発表され、高い評価を頂き、翌年に全国高等学校PTA連合大会で日野台のPTAが表彰されるという栄誉も頂きました。

日野台のそば打ちのルーツは、父親の教育への参加がきっかけでした。そば打ちに腕を振るって生き活きする父親を、子ども達は素直に応援してくれ、親子の距離が近くなる‥家庭の教育力発揮の土俵にもなったようです。PTA支援会はそば打ちに限らず、一生懸命な親の姿を応援する土俵であり続けられればと思っています。